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自分の個性、みたいなもの その1

カテゴリー:ステキな本たち、とか


 

唐突ですが、たぶん、わたしは「ひと」というものに興味があるようです。
心理学科に入ったというのも、その興味のせいなのでしょうね。

一方、やたらとタイプ分けする「分類」には、全く興味がありません。
もちろん、事象を整理するのに、「分類」という枠組みは非常に有用です。
が、枠組みは枠組みにすぎないのに、枠組みばかりにこだわりすぎて、本質を見失っているケースが多すぎるように思います( *´艸`) 枠組みは本質ではなく、そこに整理されているモノ自体が本質なんですが、なんで枠組みだけに注目するんだろう。。。ってこと、ありませんか?

という私が、たまたま最近読んだ二冊の本が、まさに「枠組みを超えた本質に迫る」本でした♪
図書館で予約した順番がたまたま同じ時期に回ってきたのですが、「枠組みを超える」というのは最近の潮流なのでしょうか。

その二冊とは、『ジェンダーと脳~性別を超える脳の多様性』ダフナ・ジョエル氏他と、橘玲さんの『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』です。


前者『ジェンダーと脳~性別を超える脳の多様性』の内容は、もうタイトルが示すとおり。
脳というのは多様なもので、「性別」で単純に分類できない、
いわゆる「男性脳」「女性脳」というものはなく、すべてのひとが、男性的な特徴と女性的な特徴がまざったモザイク様の脳を持っている、ということがこの本の結論です。
そして、その結論が導かれるまでの過程、そしてその結論を踏まえて、今後ジェンダーフリーな世界を実現していくための提言が書かれています。


筆者はまず、近年の研究者の間では、生物学的な特徴(具体的には生殖器の違い)を表す”性別”と、社会的な文脈において観察される特徴を表す”ジェンダー”が、区別されていることを明示しています。
そして、脳の男性的な特徴あるいは女性的な特徴は、実は後天的に変化することを数々の実験で明らかにしました。ホルモンなどの物質やストレスなどによって、男性的な特徴が女性的に変化したり、そのまた逆のことが起きたりするのです。

そして、前述のとおり、ほとんどのひとが、男性的な特徴と女性的な特徴がまざったモザイク様の脳を持っており、男性的な特徴だけをもったひとや、女性的な特徴だけをもったひとというのは極めて稀だということを明らかにします。
ということは、そのように連続的にいろいろな特徴をもって分布している集団を、どこかでぶったぎって、「女性」と「男性」と分けるのは、そんなに合理的なことではない、ということですね。いわんや、「女性」と「男性」の違いを追求しようとすることも、合理的とは言えません。みなさんの周りをちょっと見てもわかるように、とっても女性的な男性や、男性的な女性もいるわけですから、それをどっちかの”ジェンダー”という枠組みに押し込めること自体が不合理。

これを、筆者は「ジェンダーという幻想」と言い表しています。
わたしたちは、無意識に「男と女で違いがある」という偏見・固定観念を持ってしまっていますので、それを通して物事を見ます。そして、その固定観念と一致することに遭遇すれば(サッカーが好きな男の子、人形遊びが好きな女の子)それは性別のせいだと思います。逆に、固定観念と一致しない場合(サッカーが好きな女の子、人形遊びが好きな男の子)は、それを例外と考えたり、状況のせいにしたり、そのひとの個性だと考えたりして、固定観念自体は疑いません。
しかし、実際には、実験結果が示すとおり、固定観念自体が現実を反映していないなのです。

少し引用させていただきます。
「ジェンダーが根拠のない神話であるという事実は、ジェンダーの存在を否定するわけではない。もちろん、それは存在する。各人に固有の資質を認めるのではなく、性別に意味を与え、男女に異なる役割、地位、権力を割り振る社会システムとして存在するのだ。この社会システムは私たちの人生に絶大な影響をおよぼし、ヒトのモザイク集団を二分する」

そうそう、社会システム維持のために恣意的につくられたものに、私たちは踊らされている、という感じですね。


そして、筆者は、性差別をなくすためには、男女格差を示す”真偽の怪しい生来の特徴リスト”を作成するより、「男女」で二分するという固定観念のあらゆる誤りをできるだけ排除するほうが役立つだろう、と言っています。
男だから、女だから、ではなく、自分のモザイクに合った道を選べるような環境を作り出すことが、ジェンダーフリーな世の中とするために大切だと。
いつか、「昔は生殖器の形態で、人間を分類してたんだよ」「へええ、そんな時代があったんだ」という時代が到来するかもしれない、と。


ジェンダーに関する議論が活発になっている昨今、「性別っていう分類をみんなが忘れちゃえばいいんじゃないか」と私は思っていたのですが、その感覚と非常に一致する本でした。
「あなたはニンジンが嫌いだったね」と同じくらいのレベルで「あ、あなたは生殖器的には男だったんですね」という感じになれば、ジェンダーの問題自体が存在しなくなるんじゃないかと思うんです。
ただそれは、「生殖」ということを考えると、やはりニンジンの好き嫌いとは同レベルにするのは難しいのでしょうかねぇ。また、「ほんとに分類を意識していない」状態なのに、受け取り手によっては「無意識に差別している」と見える場合もあるようなので、それはとても残念。。。


とにもかくにも、人間の脳が千差万別のモザイク様であることは事実ですので、少しそれを意識してみると、世の中がちょっぴり自由に、そして違った風に見えるかもしれません。
「ジェンダー」という分類を超えた個性についての本のご紹介でした。

長くなってしまったので、橘さんの本については、次の記事で。

 

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