咀嚼する
カテゴリー:今日のできごと
最近ですね、わたくし、よ~く噛んでおります。
一口について50回噛もうとしております。
実際には、50回噛んでいると、口の中にはほとんど何も残らなくなるのですけれども、それでも噛んでおります。
なぜ唐突にそんなことを始めたかといいますと、
先日、尊敬するひとに「50回ずつ噛むようにしたらお腹の具合がよくなった」と聞いたからなんです。
どうやら、それだけ噛むことによって、いままで胃腸にかかっていた負担が軽くなったようです。
わたしの内臓も、半世紀以上頑張ってくださってますからねぇ。
できるだけいたわって差し上げなくては。
自分の体をいたわってあげられるのは、自分だけですもの。
わたしもそんなに胃腸が強いわけではないですし。
と思って真似して始めた咀嚼しまくり食事。
イチ、ニ、サン、シ、と、よ~く噛んでいると、噛むという行為に集中するからなのか、今まで気がつかなかったことに目が向くようになったように感じます。
たとえば、「あ、わたし、右側でばっかり噛んでるんだわ」という癖。
口に入れたものが、嚙み砕かれて、どんどん小さくなっていくその過程。
飲み込むときに、わたしのなかの管を通っていく感覚。
そして、そうやって、噛み続けていますと、なにやら瞑想めいた心持にさえなってきます。
噛む、そして数えるという無心の行為が、瞑想の状態に似ているのでしょうね。
そしてそして、そうやって毎食毎食、おやつのときも、料理の味見のときにさえ、よくよく噛んでいましたら、
不思議なことに、噛むことだけではなく、日常的一般的なことも、丁寧に、気を向けて執り行うようになってきた気がします。
注意深く行う、気を配るということではなくて、行っていることにしっかり気を向ける、という感じです。
平らかに、穏やかに、しっかり気を向けて、何かを行う。
これがもしかしたら、「丁寧な暮らし」というものなのかもしれない。
半世紀生きてきて、初めて実感した感覚です。
よく噛む、というとても単純な行為から、そんな境地に至った不思議な体験でした。
そういえば、昔、僧侶の日常の所作を、芸術として拝見するという催しに参加したことがあります。
インスタレーションというのでしょうか。
あのなかで表現されていたのは、お坊様たちが、ひとつひとつの動作にしっかり気を向けていらっしゃったということだったのかも、と、今になって思いいたりました。
神は細部に宿るのですね。
お坊様たちの境地まではたどりつけませんが、
わたしもよくよく噛んで、わたしなりの丁寧な暮らし、続けていきたいなと思います♪
咀嚼するっていう漢字は、、、、、書けない。。。タイトルにはしたものの(^^♪
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