インターネットのたこつぼ
カテゴリー:今日のできごと
人間は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない。
そう言ったのは、かのシーザーでしたっけ。
それに加えて、なにかが意識にあると、それに自然に目が行く、ということが起きます。
たとえば、姪が生まれてバギーを使い始めたら、
街中がこんなにバギーに溢れてたっけ?というくらい、バギーばかりが目に付くようになりました。
また、姉がクルマをホンダのフィットに乗り換えたときも、
街中、フィットだらけに見えてくる。
それもこれも、わたしの意識にバギーやフィットがインプットされていたので、
自然にそれに目が行って、あたかも街中に溢れているように見えたのですね。
まああ、存在するすべてのものを認知していたら、情報過多で頭がおかしくなってしまいますし、そもそもすべてのものを認知するには認知能力が足りていないでしょうから、そんなふうに自然に情報を選別して認識することになっているのでしょう。
さて、インターネットの世界では、その”情報の選別”がさらに加速します。
頼んだつもりはないのですが、アルゴリズムとやらが、わたしの閲覧履歴を分析し、好みそうな情報をどんどん提供してくれることになっているようです。
その結果、わたしのブラウザが示してくれるページは、とってもわたし仕様に偏ったページにできあがるわけです。
もちろん、そんなことは今に始まったことではありません。
が、わたしが「インターネットのたこつぼ」と勝手に呼んできたこの現象の与える影響が、昨今、どんどん大きくなっているように思うのです。
どんどん”たこつぼ”化がひどくなっているように思うのです。
それは、インターネットを通じて提供される情報がどんどん膨大になり、多岐にわたるようになり、そして誰でも簡単に発信できるようになったからなのでしょう。
また、諸々の面で不安定な世情、格差社会から生まれる不安や不満、ということも影響しているのかもしれません。
インターネットを見ているとき、「わたしはわたしのたこつぼのなかにいるんだぞ」「バイアスのかかった情報をみているんだぞ」ということを頭に入れているつもりではあっても、
なんとなく世界に広がっている情報を自由に取り込んでいるような勘違いをしてしまって、たこつぼのバイアスを忘れてしまいそうなことがあります。
そういうとき、インターネットの情報は本当に危険、だと思います。
本当はアルゴリズムに見せられている情報なのに、自分で探してきたものだと勘違いをしてしまうと、たこつぼに入っていることを忘れてしまい、それがあたかも世界の大多数の意見や情報であるかのように思ってしまうからです。
ほんとはたこつぼ情報にすぎないのに。。。
だったら、「○○新聞は○○の傾向がある」「○×テレビは××派」とカラーやバイアスがわかりきっているメディアによる情報のほうがまし。
「あ、○○新聞ね」という具合に、自分で客観的にバイアスを意識することができますものねぇ。。。。。
新型コロナウィルスやウクライナ情勢などなど、様々な情報が乱れ飛ぶ今こそ、しっかり「自分のたこつぼっぷり」を意識して、インターネット情報を見よう、と、改めて自分に言い聞かせたのでした。
そして、インターネットのなかで繰り広げられる世界より、
たぶん、「いま飲んでいるお茶がおいしい」というようなことを、ひとつひとつ大事にしていけたらよいな、と思います。
今日はなんだかそんなことをしみじみ思いました。
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